★今日の課題★
自助を考える:老後保障
今日の記事は、世の中にどうこうという訳ではなく、自身の老後を考えた時の『自助』とは何か、どのような意味を持つのかを考えた物です。
私の知らないことがたくさんありますので『それは見方を間違えているよ』ということがあると思いますが、今日の時点での私が捉えている社会の現実です。そういったレベル感で見て頂ければと思います。
自助、共助、公助
菅義偉首相発言から波紋
第99代内閣総理大臣に就いた菅首相は政策理念として『自助・共助・公助』を掲げていることに対し、さまざまな意見が飛び交っています。
『自助』を議論する良い機会になっていると思います。
共助や公助に限界を感じる世代
公助の代表的施策には生活保護、共助の代表的なものとして健康保険や年金などの『社会保障』があると思います。
ただし、厚生労働白書を見ると『我が国の社会保障は、自助、共助、公助の組み合わせにより形作られている。』という文章があります。その文章を以下に引用します。
(我が国の社会保障についての基本的考え方) 我が国の社会保障は、自助、共助、公助の組み合わせにより形作られている。 もとより、人は働いて生活の糧を得、その健康を自ら維持していこうと思うことを出発点とする。このような自助を基本に、これを補完するものとして社会保険制度など生活のリスクを相互に分散する共助があり、その上で自助や共助では対応できない困窮などの状況に対し、所得や生活水準、家庭状況などの受給要件を定めた上で必要な生活保障を行う公助があると位置づけられる。 これらの範囲については、これまでも、時代状況に応じた社会保障制度の変遷とともに変化してきており、今後も、各々が何を担うのかをその時々の状況を踏まえて考えていく必要がある。 |
昔の教科書では『4人で1人の高齢者を支える』などと書いてあったかもしれませんが、いまや『4人で3人を支える』ことも現実的になってきています。
若者が『どうせ年金なんか貰えない』と愚痴るのは20~30年前も同じだとすれば、当時の30歳はもう60歳、やがて年金を貰う世代になるという事になります。
年金制度に不安を抱えていた世代が年金を受け取る世代になるという事は、制度が維持できたことを讃えるべきか、崩壊危機に瀕している制度を見て見ぬふりしてツケを後世に回しているのか精査が必要です。
老後は自助次第という国々
国民皆保険制度に代表される社会保障の手厚い日本では、健康保険未加入(無保険)の人と出会う事は滅多にありません。
私は医療機関で務めていたのでまだ出会いますが、それでも何千人という患者の中の1人という程度ですし、すぐに国民健康保険への加入手続きを進めることができます。
こうした社会保障制度が無い国々では、病気にならないように健康増進に努めることも普遍的ですし、年金が無いので民間保険に加入したり、本業引退後も続けられる副業をして老後に備えたりしています。
終身雇用から一億総活躍
一億総活躍
安倍政権時代に50年後も人口1億人を維持し、家庭・職場・地域で誰もが活躍できる社会を目指すという主旨で「一億総活躍社会」を目指すと宣言されました。
少子化に歯止めをかけることが目指されていますが、合計特殊出生率が2.0を超えることは無さそうです。
なんとなくの感覚ですが、70歳でも現役という文化を醸成して、年金支給年齢を70歳まで引き上げるような政策かなと思いました。
それが良いか悪いか私にはわかりませんが、それくらい危機的な状況だということは理解できました。
会社の犬は居ぬ?
最近は言葉を慎むので会社人間や社畜などという言葉は耳にしませんが、20年くらい前はドラマのセリフなどでも出てきていたような気がします。
バブル時代に出てきた『フレックスタイム』制度で勤務時刻が一律では無くなり、『フリーアドレス』のオフィスが普及して隣に座る人も毎日変わるようになりました。
近年は『同一労働同一賃金』『ジョブ型雇用』などが提唱され『会社』に就職するのではなく、『職業』に就くスタイルへの変容が求められている感じがします。
会社のために尽くしても見捨てられるという事ではなく、20年貢献してつくりあげた仕事も、今日から働く同僚と同じ賃金基準となって『年功』は考慮されない制度になる可能性があります。
不合理とまではいえない格差
2020年10月13日に最高裁判決では『正規労働者の方が、業務の難易度が高く人事異動もあり、格差は不合理とまではいえない』としてアルバイトや契約社員と正規職員との格差を認める判決が出ました。
個別事例についてはよくわかりませんが、これからの就業のスタイルは変化していくのだろうと思いました。
非正規のスタッフに仕事を教えると、正規雇用の労働者の立場が危うくなるという方向に進んでしまうと、怖くて非正規雇用はできなくなってしまいます。
この判例をどのように解釈すべきかは専門家に任せますが、雇い方・雇われ方に変化が訪れる事は確実なのではないかと思います。
新常態で膨らむ市場、縮む市場
今年3月、勝手に直近の雇用動態をシミュレーションしました。
ホテルや遊園地などの観光業、レストランなどの飲食業、映画いや観劇などのエンタメ業などは劇的に縮小するのではないかと考えました。
また、旅行の減少だけでなく通勤も減る事から公共交通機関を中心にあり方を見直す事業者が増えると考えました。
一時的には持続化給付金や雇用調整助成金などで所得を補填できても、財源が尽きれば支給もできません。
それ以前に、汗を流して働いている方々が、働かなくてもお金が貰える方法があると知れば、労働意欲を失いかねません。
では、感染症流行拡大の中でも汗を流していた職種にはどのようなものがあるかを考えると、今後も残る職業や、膨らんでいく市場が見えてきます。
田植えを諦める老夫婦
今年のゴールデンウィーク、世間では緊急事態宣言の影響で休業している人が多かった中、農業では人手不足が深刻でした。
実際に、もう田植えは無理と言って去年限りでやめてしまった農家もありました。
額面の大小は議論しませんが、お金を貰って休む人が居た一方で、人手不足で事業が進まない分野もあった事になります。
一般の農家が休業中の方々を雇用する事は難しいですが、雇用調整助成金で8,330円を支給するのでれば、国が8,330円で農業人材を雇用して派遣するような制度があっても良いなと思いました。
ここで働かせてください!
千尋の生きる道
スタジオジブリの『千と千尋の神隠し』のセリフに『ここで働かせてください!』というものがあります。
あのシーンは『働かざる者食うべからず』という事だと思いますが、仕事を持つという事が社会の一員である1つの形であることを示唆していると思います。
※.上図はスタジオジブリが無償提供している画像を利用しました。
五十の見習い
ことわざに『六十の手習い』という、年を取ってから習字などの稽古ごとを始めるという言葉があります。
稽古ごとは生きがいや生活の質向上に寄与することが多いと思いますが、COVID-19流行拡大後は、生きていくために新しい職に就かなければならない人が増えると見られます。
建設現場には10代の若いお兄さんが見習いとして働いていますが、そこに『ホテルマン30年』みたいな50歳代のオジサンが見習いとして混ざる光景が現実になるのではないかと思っています。
私も10代で建設現場の見習いから社会人をスタートさせたので、現場の雰囲気は理解できますが、50歳代の見習いは扱いづらいと思います。
時給300円台
今春、講演資料を作りながら私が立てた賃金予想は『時給300円台容認』です。
最低賃金を1,000円台にするとかコロナ拡大後も議論されていましたが、業界によっては1,000円では誰も雇えないという状況に陥っていると思います。
仮に見習いの、まだ役に立つことができない職人が居たとして、その見習いが1,000円稼いでくることは難しいと思います。親方は、自分の取り分を分けてあげる事になります。
見習いが3人応募してきて1人を雇うという事ができる間は良いですが、応募者3人が『3人で1,000円で良いので、3人とも見習いにしてください』と来たとき『最低賃金を下回るので雇えません』と断るのでしょうか。
マイナス300円
最低賃金に抵触してしまうので見習いとして雇ってもらえないならば、どうしたら見習いになれるでしょうか。
研修生や実習生という方法があります。
1日3,000円支払うので、私に見習いのような事をさせて下さいとお願いすれば、法律違反にはならなそうです。
親方も、1時間300円分以上は教えてくれると思います。
農業や建築など職人的な技や感性が必要な世界では、学校で教わるだけでは一人前になれませんので、昔の丁稚奉公や徒弟制度なども見直されるのではないかと考えます。
老後の所得はどうする?
働き続ける
老後は何歳からなのかという定義はありませんが、時代の流れをみると70歳か75歳を見込んでおくと良いかなと思います。
私は70歳まで年金は貰えないと思い、60歳で会社から放り出されたら10年間も食いつなぐことができるほどの貯金も作れないだろうと考え、会社を辞めました。
60~70歳の間も働き続けられる職を手にする目的です。
当時は副業や兼業は許される雰囲気ではなかったので、独自に確立した人脈が、会社勤めしていると消滅してしまいそうであり、しかしながらその人脈が60歳以降の仕事には役立つだろうと見込んでの退職でした。
肉体労働は難しい年齢になるので、軽作業や知的な仕事を探さなければ、70歳まで働くのは難しいなと思っています。
M&A
団地生まれの私には継ぐべき資産が無いので相続した不動産での不労収入などは期待できません。
海外の方々からお話を聞くと、不動産や株などを若いうちから積極的にチャレンジしているようです。
例えば住宅街を見回して『ここにコインランドリーがあれば』と考えたりするそうです。
そして実際に人を雇い、開業してしまうところまでを副業として行う人も珍しくないようです。
さらに、その店舗が軌道に乗れば安定収入を得るかと思えば、その事業を丸ごと売ってしまう(バイアウト)そうです。
知り合いのアメリカ人は、人生で3回も会社を売ったと言っていました。
老後の資金を、M&Aで稼ぐ人は少なくないみたいです。
不労所得
会社の売買ほど大きな事をせずとも不労所得を生み出すことはできます。
アパートなどの収益物件のオーナーになるというのは去年までは良かったと思いますが、今年は入学式や入社式が行われない事態になり、比較的低予算でできるアパート経営には危機的状況のようです。
駐車場経営であれば、設備投資が住宅に比べて小さいのでリスクは少ないと思いますが、収益化できる立地には限りがあります。
もっと小さい不動産収入としては自動販売機経営があります。自販機を置くと良さそうな土地を見つけ、その土地を借り、自販機を設置して収入を得るという方法です。
自販機設置場所を紹介して1件3万円貰うみたいなバイトもありますが、一過性のものですので、老後の収入とするのであれば自らが経営する無人店舗として、自販機を持つのも悪くないと思います。
貯蓄
不労所得の方法が思いつかない、自分には不向きだと思うのであれば堅実なのは貯蓄です。
仮に60歳で2,000万円の貯蓄があったとします。
60~70歳までの年金支給前の期間は月15万円を貯蓄から、のこりをパートで稼ぐとすると年180万円、10年で1,800万円の貯蓄を崩すことになります。
70歳で残り200万円です。
高齢者施設への入居に掛かる初期費用が1人50万円として夫婦で100万円、これで残金100万円です。
ここからの生活は年金額に依存するので、貯蓄だけで年金支給を待つには、それなりの金額を用意する必要があります。
高齢者向けの共助も公助も…
今はプラスマイナス・ゼロ
今の高齢者向けの施策などを見ると、戦後~高度経済成長をどっぷり生き抜いた方々が、それまでの功労に応じた年金を受け取っていると思います。
既に団塊世代が70歳を超え、2030年台には団塊ジュニア世代が60歳以上となり、やがて高齢化率は歴史上最高になるでしょう。
いまのところ、年金額が少ないと言われる低い水準の方々でも、ほぼ全額を支払えば高齢者施設に入ることができます。これで屋根のある場所で寝泊まりでき、3食が確保されます。
団塊ジュニア以降は築50年
介護保険制度がスタートした2000年頃、高齢者向けのサービス事業者が増加し、コムスン1社でも1,200事業所を開設したと言われています。
2008年には後期高齢者医療制度がスタート、団塊世代は65歳となる頃でした。
2000~2010年頃に多くの高齢者施設が建設され、今でもきれいな状態を維持しています。
しかし、団塊ジュニア世代が入所するであろう2040年頃には築30~40年、それから10~20年は暮らすとなると築50年を過ぎる建物で老後を過ごすことになります。
それでも、鉄筋コンクリート造で、大きな窓のある施設で老後を過ごせれば良いのではないかと思います。
介護従業者は高給取り?
生産年齢人口が減り、高齢者が増える。すなわち働き手が少ないのでわざわざ介護の仕事に就こうという人は少なくなると考えられます。
なり手が少ないのであれば、給料を高くするか、サービスの質を落とす必要があります。
現在、待機児童が社会問題だとされていますが、実は保育士の就業率は5割程度と言われており、免許はあるが保育士として働かない人が多くいます。
その背景には仕事がハードな割に給料が安く、責任は重いといった労働環境に課題があると言われています。
保育園を新設するにしても法的要件が多く、すべてクリアすると大きな投資となる割に、入園機会は4月の1回きりなので事業としてのリスクも高くなります。
高齢者施設は入所時期に偏りがないものの、オムツ交換や入浴介助など楽な仕事ではないので、その職に就きたいと思ってくれる若者がどれだけ居るのか、心配されるところです。
共助減、介護費増
仮に受け取れる年金額が今の水準を下回り、介護等の費用が今の水準より高くなれば、高齢者施設に入れない年金受給者が増えることになります。
公衆衛生などの面から講じられてきた様々な規制を緩和することで入所料が低減され、その代わりに建物や設備の質は低下することを甘受することになると考えられます。
築50年の建物、衛生状態の良くない建物、月に1度しか沸かされない風呂、味気ない食事、何もかもを受けれなければ路上生活も考えなければならない状況かもしれません。
公助最小化
公助は正面切って減らすような政権が現れるかもしれませんし、手続きが複雑化して申請する人が少ない制度になるかもしれません。
財源が無いので仕方ないことだとは思います。
現役世代と呼ばれる生産年齢の若者たちは所得の3割も源泉徴収されるような時代になっていれば、税の使われ方について関心を持つ若者が増えて当然だと思います。
0歳~18歳までは医療費も学費も無償化、60歳までの医療費も無償化という制度になっているかもしれません。
一方で、例えば降圧剤を処方されても飲んで居なければ心臓カテーテル治療は受けられないとか、糖尿病で保険を使うにはライフログを残して暴飲暴食をしてない証明が必要だとか、新しい制度ができているかもしれません。
おそらく生活保護制度は無くならないにしても、最低限度の生活という水準は変わると思います。
現金支給から現物支給へと変わり、エアコンやテレビはダメ、熱中症対策が必要ならシェルターで生活するか、涼しい山中へ集団疎開するという事も考えられます。
生活保護を受けている世帯がエアコンを使えるようになってまだ20年ほどだと思いますが、所得水準が平成より前に戻ろうとしているのであれば、制度も戻る可能性があります。
公助だけで生きるということが、いまの水準から見れば相当に過酷なものになるかもしれません。
共助マイナス時代なら
いまは年金だけで高齢者施設に入れると書きましたが、もし年金だけでは高齢者施設に入れないとなったとき、どうしましょうか。
数カ月分であれば借金もできるかもしれませんが、数年や数十年となると、借金はできないでしょう。
そこは仕方ありません。高齢者施設には入らないという選択になるでしょう。
家賃の安い住まいを探し、介護が必要であれば年金で支払える範囲で来てもらうしかありません。
年金が社会生活水準とミスマッチな時代ならば、自助が不可欠になると考えられます。
高齢者になっても働き続けて補填する自助か、働かずしても補填できる手段を確立するか、いずれにしても自助努力が必要になると考えられます。
私の自助プラン
年金依存はできない想定
私の生涯所得額は底辺のレベルだと思います。20歳頃に職人として貰っていた給料より、30代で医療職に貰った給料の方が低いという人生の選択ミスがありましたので30代の所得は同世代に比べて相当に低いです。さらに20代後半は大学に行っていたので所得ゼロ、20代の10年間の総所得も相当に低いです。
年金は所得に応じて収めているので、当然ながら支給額もそれに応じて増減します。
公的年金と企業年金のダブル受給者と比較して、半額にも満たない低い位置になると思います。
くうねるあそぶ。
1989年の日産セフィーロのCMで井上陽水さんが言っていたキャッチフレーズは、糸井重里さんが考案したそうです。
『くうねるところにすむところ』は落語の寿限無に出てきますが、老後でも食事と住環境は欠かせません。
そこに『あそぶ』が加わることで、人生に豊かさが添えられることになると思います。
私は持ち家に住んで居るので何も無ければ住まいは確保されていますが、ガラスが割れたり水漏れしたりという事が起こらないとは限りませんので、そうしたリスクには備える必要があります。
田畑は持っていないので、自給自足ができる家ではないため食事については対価を支払って手に入れる必要があります。
今の生活は仕事中心、趣味や遊びがないので老後はどうするかわかりませんが、何らかのライフワークは必要なのだろうと漠然と考えています。
80歳まで働く
私は80歳まで働くつもりで、80歳でも雇われるためのスキルを身に付けられるよう努めています。
実際、医学系の学会に行くと70歳代の先生方は普通に見かけます。医師として現役の先生がほとんどです。中には80歳代の先生も居られます。医師は医学部卒業年がだいたいわかるので、年齢もだいたいわかります。
80歳代、あのような仕事ができればお声が掛かるのかと勉強させて頂いています。
探求心
仕事を続けるためには、若いパワーに圧倒されないだけの何かを持つ必要がありそうです。
『オワコン』と呼ばれたら仕事が無くなると思いますので、最先端は狙わなくても『終わらないコンテンツ』であり続けるために、常に探求心が必要だと感じています。
最近、自主的な研究をするようになったら、講演会数が増えた気がしますので、ある程度は老後のための先行投資だと思って、実験などを続けて行こうと思います。
働ける身体
生命保険の資料を見ていると、軽作業ができる人は働ける人とと扱われ、休業補償は得られないといった文章を見かけます。
高齢になっても軽作業ができれば、働ける人とみなしてもらえるのであれば、その程度の身体能力は維持できなければなりません。
20代前半は週に3回もバスケットボールをしていたので体力には自信がありましたが、近年は1日5千歩も歩かない生活、今年は1千歩すら歩かない日が続いているので、年を取ってから怪我をすれば廃用症候群へまっしぐらではないかと心配しています。
まずは基礎体力、基礎代謝の維持に努めます。あ
投資
今は資金がないのでしませんが、いずれは投資も必要だと思います。
できれば、これまでの経験を違った形で活かせることに投資したいと思います。
大きなくくりとしては『異業種連携』『interproffessional』を考えています。
後継者が居ない中小事業者はたくさんありますが、その中でも業界での競争力を失いかけているが、核となるシーズがあるような事業者さんには、良い人材、良い設備があるのではないかと思います。
それを良い形で承継できるよう、異業種へ連れ出し、新規事業として花開くようなことができれば良いなと思っています。
そうした事業者を買う事ができるだけの資金を集め、ニーズとシーズのマッチングを自分なりに行いたいと思います。
無理にこれを進めようとは思っていません。良い出会いがあれば、それを生かしたいなと思います。
人生100年時代の老後
定年後40年
私は高校卒業の18歳で社会人になりましたので、仮に60歳まで働けば42年の社会人です。
60歳から100歳までが老後なら、40年の老後が待っています。
40年をどう生きるのかが、問われています。
共助+自助
仮に厚生年金が月5万円徴収されていたとします。
社会人として42年間、毎月収めたとします。
そこから40年間かけて還付されるとすれば月5万円に利子がついても6万円にはならないと思います。
月6万円でも生活はできないので、自助が必要であることが理解できます。
自助が無ければ
日本に籍を置いていれば、おそらく公助として生活保護などを受けることができ、生き延びることはできると思います。
老後、そういう生活スタイルもあると思います。
自助は自分を救う手段
自助とは、自分を救う手段だと思っています。
公助として、皆さんの税金から助けを貰う事はできますが、その代わりに様々な制約を受ける事になると思います。
この先、有効求人倍率が0.5の時代が到来しないとも限りません。そうなると、公助の水準は大きく引き下げられると思います。
年をとってもネットはしたい、映画は見たい、外食はしたいなどの欲があれば、自助の手段を確立しておく必要があります。
働くことができず蓄えも無く、年金も社会生活ができるレベルでは無ければ、そんな事を考えなくて良いような準備が必要であると実感している2020年秋です。
私には政治や経済、社会の今についてはわかりませんし、20年後の予想もつきません。
そんな中で新首相誕生から出た自助、共助、公助というキーワードから老後について考えてみました。
一年に一回くらいは、こんな事を考えても良いかなと思いました。
その勢いでいま、生命保険のネット見積もりをしてみたところです。保険も見直してみようと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。