★今日の課題★
災害避難所での食中毒を軽視する災害対策の権威
避難所の食事
初期フェーズは非常食
発災当初、命からがら避難したときや、洪水になる前に予防的に避難したときは、特に食べ物に対してどうこう言う余裕もないので、用意できるものを食べるのが通例です。
昔ならばカンパンでした。
最近ですと美味しい非常食も多くあります。
発災3日で一段落
全国からの救援隊や救援物資が発災2~3日目にある程度まで揃います。
その後、善意の物資が続々と届くようになります。
食事も最初の3日間は避難所に備蓄されていた物を食べますが、このあたりから救援物資の中から食べるようになります。
1週間後から格差
発災1週間後から、自治体や避難所間の格差が生じます。
自治体間の格差については、支払っている税金も違いますので仕方ありませんが、同じ市内で格差が生まれるのは問題があると考えられます。
格差は献立に現れます。
温かいものが出るか否かが大きな違いになります。
冷たい食事だとしてもレトルトの非常食なのか弁当なのかでも違いが出ます。
生野菜や野菜ジュースが出るか否かも違いです。
権威の方いわく…
避難所に野菜
避難所で野菜が不足する、だから野菜を摂らせてあげることが理想的。
これについては医師も看護師も栄養士も、異口同音に述べていることですので間違っていません。
災害対策の権威がおっしゃっても同じです。
食中毒を出してでも(?)
災害対策の権威ともあろう方が、多少の食中毒を出してでも野菜を提供すべきと唱えておられました。
行政からは、食中毒が出ると危険だから生野菜は出さないという意向が示されましたが、これに対して責任逃れだと指摘されていました。
多少の食中毒を出してでも生野菜を摂らせることが良いという事を災害対策の権威が公衆の面前で言うと、どれほど影響を受ける人が居るでしょうか。
関連死を防ぐ(?)
避難者が元気でいるためには、食事が重要だという事を言いたいようです。
元気でいるためには、1人や2人が食中毒になっても良いだろうとおっしゃっていました。
食中毒よりも、食べたい物を食べる方が良いとおっしゃっていましたが、食中毒になれば本人は食べたい物どころか何も食べられないですし、同じ避難所内ではしばらく制限された食事になると思います。
食中毒を出したら災害関連死が増えるということは無いという主旨の事も話されていました。
災害時の食中毒の危険
PDD
PDDとは防ぎ得た災害死、救い得た災害死という言葉です。
1995年の阪神淡路大震災の際、建物の下敷きになった方々が平時の医療体制であれば助かったかもしれない、手術や透析が受けられれば助かったかもしれない、という人が数百名居たとされています。
災害時、多くに事業が停止しますが、医療は止まりません。ノンストップではあっても、平時並みの医療が提供できる訳ではありません。
119・救急車は機能不全
災害時に119番通報しても、つながるかどうかわかりません。
119番通報は殺到して、順番を待っていると何日後になるかわかりません。
信号が真っ黒で、道路が寸断されて、救急車は往来することが困難になります。
食中毒で生命危機
平時に集団食中毒が出ると、タクシーやバスを使って病院に何十人、何百人もの患者が押し寄せます。
それでも平時なので、とりあえず点滴を開始し、トイレやバケツを割り当て、重症者には濃密な治療を行います。
災害時には医療機関へ行く事が困難、医療機関は災害関連の患者で手いっぱい、電源や水は限られている中での診療継続となっていることが容易に想像されます。
その状況下で、下痢や嘔吐が激しく、脱水や急性腹症などの患者を受け入れる事は簡単ではなく、しかも複数名となるとかなり厳しい判断を迫られます。
仮に食中毒患者が医療を受けられなければ、点滴以外では水分補給が難しく、脱水症状による致死的な状況になることも考えられます。
私は食中毒経験者
私は20歳前後の頃、旅行先で食中毒になり救急搬送されました。
嘔吐と下痢が同時多発的に起こり、胃液のあとは胆汁のような….あまり生々しいのは気持ち悪いのでこのへんで。
とにかく辛いです。
点滴が入っているので水分は補給され、失った電解質も補充され、気持ち悪さを抑える薬も投与されるので、1泊2日の入院で済みましたが、大変です。
これがO-157であったら、致死的であったかもしれないなと思いました。
これが災害時であったら、致死的であったかもしれないなと思いました。
公衆衛生上の危険因子
衛生状態の劇的悪化
避難所のトイレが水洗ではない事は覚悟しなければなりません。
避難者10人あたり1基あれば良い方かもしれません。
このような衛生状態の中で、下痢や嘔吐を呈する人が複数名居るとどうなるでしょうか。
トイレを占有されてしまう、トイレ以外のところで排泄されてしまう、いずれにしても公衆衛生上問題があります。
吐物からの感染
『ノロウイルス』という言葉は冬場に新聞に載ることが多い感染症です。
ノロウイルスの感染者が吐いた吐物を処理する際、注意しないと吐物処理した人が感染してしまいます。
処理が不十分だと、吐物が付着した床などからウイルスがまき散らされることもあります。
こうした感染はノロウイルスに限ったことではありません。たまたまノロウイルスによるものが多いという事であって、他の原因でも吐物から感染する可能性があります。
木を見て、森を見ず
権威が言うと…
災害対策の権威が、日本の行政を痛烈に批判する講演をなさるのは、それは問題提起で良い面もあると思います。
しかしながら、公衆衛生や感染制御の面から見て誤った情報を権威が語ると、危険を植え付ける事になると思います。
もっともらしい各論
聴講していると、非常に素晴らしい事をおっしゃっているように感じます。
しかし、1つ1つを考察しながら聴講していると、色々な事柄に蓋をしている部分もありました。
マネジメント
過去の成功例を、都合の良い面だけ挙げることは簡単です。
しかしながら、現場のマネジメントには不確定要素がたくさんあります。
現場を踏んだ人は対応力が高くなりますが、机上の空論を繰り返しても、実践力の高まりには限界があると思います。
避難所栄養管理の実際
NGフードは沢山
避難所ではフェーズごとに提供される食事に変化があるものの、一貫して出てこない物や、出し続ける物があります。
一般的に生ものは出てきません。
寿司や刺身は当然ながら、生野菜も提供には躊躇します。
生野菜は水洗いするとしても、その水がキレイであるか不確かな場合があります。
食事を配る人、受け取る人の手洗いも徹底できるかわかりませんし、特に配る人の影響は数百人に及んでしまいますし、配り始めて数分もすれば汗をかいたり、箱を触ってしまったり、徐々に衛生度は低下します。
他にもアレルギー症状が出やすい食品や、刺激物が入った食品は避難所では扱いづらい食品になります。
栄養補給と食事
私は東日本大震災の被災地に幾度も足を運びました。
岩手県栄養士会とは盛岡駅前でイベントを共催するなど、被災地の栄養については様々な活動をしました。
当時、避難所ではサプリメントを活用していました。
例えば炊飯する際に、必要なサプリメントを一緒に炊いてしまい成分を摂取してもらいました。
これならば、オニギリしか食べていないとしても、多少の栄養は補給されるようになります。
数千人、数万人の食事を安定的に供給するには、手段が優先され献立は二の次にならざるを得ません。
特別な夕食を1回提供して、翌日は食事を提供しないという訳にはいきません。炊き出しボランティアではピザなどが振舞われることもありますが、そうした時々の特別食が印象的になりますが、日々安定的に継続的に食事を提供することの大変さを知れば毎食感謝です。
避難所の批判をするのは簡単ですが、1日3食の当たり前の食事を、提供できなければ怒鳴られ、提供しても感謝されないという関係者に対し、敬意を払ったうえで建設的な意見交換をして頂ければ良いなと思います。
平時も食中毒対策は最優先
飲食業界で業務停止処分を受ける理由の多くは食中毒などの衛生管理が原因です。
食中毒を出す前でも、牛肉ユッケを提供して指導を受けた飲食店は数多くありますし、弁当工場などでは保健所が立ち入る事も少なくありません。
パーティなどで提供される食事は中心部の温度を75度・1分間の加熱が目安となっています。スチームコンベクションオーブンを使うなど、細心の注意を払って調理しますので、滅多に食中毒は出ませんが、それでもゼロにはなりません。
滅菌なら高圧蒸気で加熱
『中心部温度75度・1分間』は調理に携わる人であれば幾度となく耳にした言葉だと思います。
加熱することで『菌』を制する事はできるかもしれませんが、加熱が万能という訳ではありません。
医療機器等に用いられる『滅菌』とは、殺菌や消毒とは次元が違います。菌が1つも居ない状態をつくりますが、この時に用いられる熱を用いた滅菌法に『121℃・2気圧・15分』というものがあります。
近年、温度は狂牛病対策で134℃が一般化しています。常圧の水では100℃にしかならないので圧力釜のようなところで高圧にして温度を掛けるので2気圧となっています。134℃であれば10分程度、121℃で15分程度加熱して『滅菌』状態となります。
食品の75℃という加熱法では『滅菌』にはなりませんが、多くの菌を死滅させられると考えられています。
菌はゼロにはなっていない可能性もあるので、例えば大腸菌であれば15分に1回の細胞分裂、1個が2個になるので30分後には4個、45分後には8個、60分後には16個….増殖できます。
加熱しても滅しない毒素
菌は加熱によって死滅しますが、毒素は無毒化できません。
例えば大腸菌は、死滅すると『エンドトキシン』という毒素を放出します。
簡単に言えば大腸菌に一部を構成するものが毒素になる訳ですから、大腸菌よりもはるかに小さい物質になります。
大腸菌を捉えることができるフィルターがあっても、エンドトキシンは通過できる可能性があります。
この毒素にも種類がありますが、いずれも体内に入れば良い事はありません。
非加熱の生モノは危険
加熱調理しても危険である食品、非加熱であれば更に危険です。
海外旅行に行って食あたりになる原因の1つに『サラダ』が挙げられますが、野菜を洗った水に原因があるかもしれませんし、付着していた土や肥料に原因があるかもしれません。
加工が少ない分、生食には危険が潜みます。
被災地ではリスク回避が最優先
避難所などでは集団食中毒を発生させてしまったときの危害の大きさが容易に想像できるため、その要因となる食事の提供には最大限の注意が払われます。
食品側の注意も重要ですが、摂食者も体力的に弱っていたり、非常時に提供されたからと苦手な食品も食べてしまう人が居ることなどから、なるべくリスクの低い食事提供に徹します。
生野菜や生魚が提供されないのは、リスクマネジメントとして当然のことです。
冷蔵庫が無い中では弁当なども『もったいない』という気持ちは理解した上で、大量に廃棄されることもしばしばです。
岩手県沿岸部では毎日新鮮な魚が水揚げされていたので、魚肉ソーセージなど加工された魚介類は口にすることは無かったそうですが、東日本大震災の避難所では皆が『マイマヨネーズ』を持ち、魚肉ソーセージを食べるようになったそうです。栄養バランスとしては良くないですが、生食が危険な場所であることから、理解が広まりました。
こうしたリスクマネジメントが実施されている場所に、災害ボランティアを名乗る方々が生食用の食材を持ち込んでしまうと、せっかくのマネジメントが破綻してしまいます。
2つの破綻
リスクマネジメントの破綻とはすなわち、次の2つです。
1つ目は食中毒要因の侵入です。
せっかく要因を遠ざけていたにも関わらず、善意と思って持ち込まれてしまう生ものが、食中毒発生の可能性を高めます。
生ものがゼロの状態であれば、生ものによる食中毒発生の可能性もゼロです。
ところが、そこに1つの生ものが入りこめば、1÷0で無限大となり、その危険性は計り知れなくなります。
2つ目はマネジャーへの反感です。
おそらく生ものが食べたいという意見が噴出しているであろう中で、マネジャーが必死に説得していたかもしれません。
そこへ、簡単に生ものを持ち込まれてしまうと、持ち込んでくれた人には好感を持つ一方で、対極的なマネジャーには不満感や不信感を抱く事になります。
マネジメントが破綻した避難所はどうなるでしょうか。
法律などに縛られることなく均衡を保っていたコミュニティが無秩序になる可能性があります。
今回、災害対策の権威として表舞台に立つ偉い先生が、セミナー講師という立場で聴衆に教えている内容が、まさかの医療軽視、行政批判であったことが意外過ぎてショックでした。
災害という非常事態において、食中毒患者が数名出ても良いという発想はどこから来るのか、まったく信じられません。
このような事が『当たり前』となってしまわないように、当方も関連学会等での活動を活発化させ、意見をぶつけ合える土俵に登れるようにしなければならないなと思いました。
私の考えが正しいか誤っているかはわかりませんが、これから検証を重ね、真理を追究していきたいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。