今からさかのぼること10,000日前、1995年1月17日5時46分に阪神淡路大震災は発災しました。
地震が起こること自体は自然現象ですが、それがどこで起こるかで災害になるかどうかが変わります。
この地震は『直下型地震』と呼ばれ、都市部を震源として比較的狭いエリアが被災しました。
教訓として伝承していくべきことと、当時とは違うことを認識して考え方を改めていくところがあると思います。
例えば高齢化率は当時10%程度、今は30%に迫る勢いですので、簡単に言えば助ける側と助けられる側の人数バランスが当時とは違うことが予想できます。
建物の耐震性は当時とだいぶ変わったと思います。
昭和40年代に建てられた家はだいぶなくなりました。50年代の家も少なくなっています。1975年(昭和50年)築の家ですと築後47年ですので、木造住宅であれば建て替え時期を迎えていると思います。
この1万日の間に建築技術が向上しただけでなく、古い建物が減っていることが、震災による全壊建物を減らす効果を生み出すと考えられます。
1万日でおおきく変わったことの1つに『DMAT』の発足があります。
『ディーマット』と読みますが、災害時に特化した医療救援チームです。1万日前には存在していませんでした。
DMATと並行して災害時の医療体制に求められる緊急透析ですが、そちらは行政にはあまり浸透していないかもしれません。
阪神淡路大震災では生き埋めとなった人を助けたあとで、押し潰された筋肉からでたミオグロビンやカリウムという物質が体内を巡り、急性腎不全や心室細動などをもたらして死に至るということがありました。
血中の物質除去には透析療法が有効であるため、倒壊建物から生存救助された人にはすぐに透析の機会が与えられるべきです。
透析が必要であるかどうかは現場判断ですが、透析ができる環境が無ければPDD (Preventable disaster death)、防ぎ得た災害死を生み出すことになってしまいます。
現在、慢性維持透析患者は30万人以上、簡単に言えば1日15万人以上が透析を受けているので、外来透析施設は全国に数千施設あります。その多くがクリニックであり、かかりつけ患者への透析提供のための施設であるため、災害時に新患を受け入れて治療をするような設備はありません。
仮に圧挫症候群(クラッシュシンドローム)の患者に透析を施行して欲しいと言われても、そのための水や電力の確保は容易ではありません。さらに、集中治療室ではないので全身管理をできるほどの設備やスタッフを揃えている訳ではありません。
こうした課題については医学界の先生方のご尽力で改善されている面もありますが、地域防災計画など行政側の資料にはほとんど掲載されていませんので、急性期の圧挫症候群を患った市民に透析が届くのかわかりません。
1万日の間にあった大きなイベントとして東日本大震災があります。未曽有の津波被害があり、原発事故も起きた大惨事です。
このとき、海外からの支援も多くありました。阪神淡路大震災のときも海外からの救援隊が活動していましたが、東日本大震災では米軍の『トモダチ作戦』のような大規模な活動もありました。
東日本大震災の影響は今でも残っており、今夏や今冬も計画停電の可能性があります。
原子力発電所の多くが休止や廃炉となり、脱炭素時代において火力発電所も更新が進んでいる中で、需給バランスが崩れています。
さらにロシアによるウクライナ侵攻で燃料高となり、原発をほとんど使っていない日本にとってダメージは大きいと考えられます。
災害が起こっていないときでも災害の影響を受ける、この1万日で変わった大きな点かもしれません。
一昨日アップロードされた記事には、1万日前と最近の定点比較がなされています。
神戸三宮駅前の様子もだいぶ変わりましたが、面影を残しているところも多々ある事がわかります。
Saigai.me 災害の芽を摘む:6月3日で10,000日 阪神淡路大震災(2022年6月1日)